HOME > 患者さんインタビュー
雅人くん自身には、 歯が抜け始めた頃
の記憶はありません。 おぼろげな記憶と
して残っているのは、 小学校のプールサ
イドにいる自分の姿だといいます。
「脚が痛かったから見学していたんだ
と思います。ちょっと脚が痛いくらいで
休んでいいのかな、 みんなと一緒に体育
の授業を受けたいな、 なんて思っていま
した」
低ホスファターゼ症はさまざまな症状をともないますが、
雅人くんの場合は脚の痛みに悩まさ
れることが多かったそうです。 10分ほど歩くと疲れてしまう、
友だちと走りまわると脚が痛む、 ということがよくありました。
「気休めとわかっていても、 痛むところに手を当ててあげるこ
とくらいしかできませんでした」 と、 芳子さんは語ります。
本人の記憶には残っていなくても、 歯が抜けてしまう苦痛
違和感や脚の痛みから泣きだして しまう雅人くんにも、
ご両親は向き合ってきました。
「私たちもつらかったですが、 一番つらいのは本人です。
少しでも雅人が安心して過ごせるよう、
私たちはいつも雅人の味方、
ずっと雅人を支えていくという思いを伝えていましたね」
(仁志さん )
小学校入学時にも、 担任や養護教諭には
あらかじめ病気のことを伝えていました。
低学年のときの担任は、 雅人くんの病気に
ついてクラスの友だちに説明してくれまし
た。
「痛みはまわりにはわからないから、体
育の授業を見学するときは、 サボってると
思われないかを心配しました。 でも、 先生
がみんなに説明してくれていたこともあっ
て、特にイヤな思いをしたことはありませ
ん。 逆に、 そこまで気を使わせてしまって
申し訳ないと思うくらい、 まわりは理解し
てくれていたと思います」 (雅人くん)
小学校入学時にも、 担任や養護教諭には
あらかじめ病気のことを伝えていました。
低学年のときの担任は、 雅人くんの病気に
ついてクラスの友だちに説明してくれまし た。
「痛みはまわりにはわからないから、体
育の授業を見学するときは、 サボってると
思われないかを心配しました。 でも、 先生
がみんなに説明してくれていたこともあっ
て、特にイヤな思いをしたことはありませ ん。 逆に、
そこまで気を使わせてしまって 申し訳ないと思うくらい、
まわりは理解し てくれていたと思います」 (雅人くん)
信頼を寄せる小児科医との出会い以降も、県外の大学病院には専門的な診察と検査を受けるため
に定期的に通っています。 小学生の頃の通院を振り返って、
雅人くんは 「病気はイヤだったけど、
新幹線に乗れるのは旅行気分で楽しかった。 通院の日だけは、
移動中や待ち時間にゲームし放題だっ
たのが一番うれしかったかも」 と笑います。
大学病院では歯科と小児科、 両方で検査を受けていましたが、
仁志さんはそのときの様子をよく 覚えています。
「研修医の人も含めると、
ちっちゃい雅人が10人くらいの大人に囲まれているわけです。
それ でも泣かずに、ぐずることもなく、
先生のいうことをしっかり聞いて検査を受けていました。 強い
子だなって、 しみじみ思いましたね」
普段の雅人くんは、病気を抱えていると
は思えないほど明るい子どもだといいま
す。 「家族の中のムードメーカー、 太陽の
ような存在」 と芳子さんがいうように、
1人のときも、 3歳上のお兄ちゃんと一緒の
ときも、いつも全力で遊んでいました。
幼い頃のお気に入りは電車のオモチャ。
外で遊ぶのも大好きで、 虫とりに夢中に
なったことも。 小学生の頃は、 家ではお兄
ちゃんとブロック遊び、 外に出れば近所の
友だちとボール遊び。 時間と体の状態が許
す限り、遊びまわる毎日だったといいます。
「本人の明るさに、 私たち夫婦が救われ
た部分もありました」 (芳子さん)
普段の雅人くんは、病気を抱えていると
は思えないほど明るい子どもだといいま
す。 「家族の中のムードメーカー、 太陽の
ような存在」 と芳子さんがいうように、
1人のときも、 3歳上のお兄ちゃんと一緒の
ときも、いつも全力で遊んでいました。
幼い頃のお気に入りは電車のオモチャ。
外で遊ぶのも大好きで、 虫とりに夢中に
なったことも。 小学生の頃は、 家ではお兄
ちゃんとブロック遊び、 外に出れば近所の
友だちとボール遊び。 時間と体の状態が許
す限り、遊びまわる毎日だったといいます。
「本人の明るさに、 私たち夫婦が救われ
た部分もありました」 (芳子さん)
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