HOME > 患者さんインタビュー
雅人くんが低ホスファターゼ症の治療を開始したのは、 11歳、 小学5年生のときでした。 体を
動かすことが大好きな雅人くんは、 存分にスポーツを楽しめるようになりたい一心で 「低ホスファ
ターゼ症の治療を受けたい」 という自身の思いをご両親に伝え、治療を始めることになりました。
「私たち夫婦は、少し不安も感じていました。 ですが、 本人が自分の希望をはっきりいってくれ
ましたので、 私たちも治療を始めることに前向きになれました」 (芳子さん)
その頃、 雅人くんが夢中になっていた
スポーツは卓球でした。 「脚のスネのとこ
ろ、たまに膝の関節も痛むことがあって、
それがなければって、 ずっと思っていま
した」 と、 雅人くん。 中学では迷うこ
となく卓球部に入部し、 卓球にもそのほ
かの運動にも、 それまで以上に打ち込む
ことができたといいます。
高校進学後、 雅人くんはバレーボール
部に入部します。 厳しい練習に途中で辞
めていく同級生もいた中、 雅人くんは3
年生となり受験を控えて引退するまで、<
部活動を続けました。
18歳になった雅人くんは、 自分の将来
をどう考えているのでしょうか。
その頃、 雅人くんが夢中になっていた
スポーツは卓球でした。 「脚のスネのとこ
ろ、たまに膝の関節も痛むことがあって、
それがなければって、 ずっと思っていま
した」 と、 雅人くん。 中学では迷うこ
となく卓球部に入部し、 卓球にもそのほ
かの運動にも、 それまで以上に打ち込む
ことができたといいます。
高校進学後、 雅人くんはバレーボール
部に入部します。 厳しい練習に途中で辞
めていく同級生もいた中、 雅人くんは3
年生となり受験を控えて引退するまで、
部活動を続けました。
18歳になった雅人くんは、 自分の将来
をどう考えているのでしょうか。
「小学校の先生になりたい」
雅人くんの答えは明快でした。 小学生の頃にはマジックやウクレレ、 中学、高校ではピアノに
夢中になり、さまざまな場面で腕前を披露していた雅人くんをみて、
「エンターテイナーというか、まわりを楽しませる才能があるかもしれないと思ったことがあり
ます」
芳子さんがこういうと、
「そうそう。ちっちゃい子どもたちが『マ
サト兄ちゃん』って、よくまわりに集まっ
ていました」
と、仁志さんが続けます。子どもたち
とのふれあいを通じて、教師になりたい
という思いが自然と芽生えたようです。
芳子さんがこういうと、
「そうそう。ちっちゃい子どもたちが『マ
サト兄ちゃん』って、よくまわりに集まっ
ていました」
と、仁志さんが続けます。子どもたち
とのふれあいを通じて、教師になりたい
という思いが自然と芽生えたようです。
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